分市貫徹運動

2026-9-28

 先週末から生憎の天候が続く宮田村です。
土曜日は雨の中で商工会の親睦ゴルフ大会に参加しましたが、昨日は午前中は曇り空の為いつもの草刈り作業を行いました。
しかし、稲刈り作業の方は一向に進まず、今週も雨の予報なので益々刈り取りが遅れそうです。
 そんな昨日は宮田村新村70周年記念講演会があり、愛知県立大学のクラマー・スベン氏による宮田村の昭和の大合併と分市の話を聞いてきました。
宮田村は1954年に赤穂町、中沢村、伊那村と合併し駒ケ根市となりましたが、その2年後の1956年9月30日に分市して現在の宮田村となり、それから70周年を迎えました。
この一連の合併から分市に至る経過についてスベン氏は非常に詳しく調査されてきたそうで、その内容を説明してくれました。
合併に賛成派と反対派が居てそれぞれの激しい口論や、時には村八分のような行為もあったという話は昔から聞いていましたが、現実にその事実をお聞きして大変参考になりました。
昭和の大合併は国が地方自治体の財政危機を免れるために指導し、宮田村ははじめは西春近や東春近との合併を模索した事。
それが東春近の伊那市合併に伴い頓挫し、赤穂、中沢、伊那村(現在の東伊那)との合併を目指すことになったとか。
しかし、やはり昔から大田切川の水利権争いなどがネックになり、最終的には一旦は合併し駒ケ根市誕生に貢献したものの、すぐに分市独立し、宮田村として今日に至った経過を非常に興味を持ってお聞きしました。
「分市貫徹運動」なんて言葉が飛び出すほど、合併反対派の動きは激しかったとも思われます。
 平成の大合併時にも実は伊南4市町村の合併を目指した方々も多く、宮田村もまったく無関心だったわけではないと記憶していますが、駒ケ根市が市の名前で反発が出て、結局合併が成立しなかった事とは少し事情が異なるようです。
講師の先生も質問に答える形で仰っていましたが、宮田村の元気さ、活発な状況が今後も独立を支えていくのではとの話。
でも、やはり少子化や人口減少、更には産業の低迷は懸念材料。小さな村が生き残っていくためには様々な工夫や政策が必要だと改めて感じるものです。

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