平成18年豪雨を振り返る。
2021-7-20
東京五輪開幕直前なのに、様々な事象で混乱が見られます。
楽曲制作担当者の一人が、過去の過ちから辞任に追い込まれた事は残念でもあります。
過去に行った事をその後は反省し、活かしていく事も大事だと思いますが、五輪・パラリンピックでは「差別」については非常に厳しい感覚で臨まねばならないことを改めて知りました。
南アのサッカー代表の感染は、これは今大会を悩ます十分あり得る事で、対戦相手の事ももちろん、チーム内で濃厚接触してしまう選手やコーチが居る事は必然です。
これらをどうするのか、今後の対応が気になります。何と言っても初戦の対戦相手が日本というのもどうしても関心が高まる原因でしょう。
そこへいくと、高校野球の鳥取県の対応は素晴らしいと思います。
学校内に感染者が出て、一度は不戦敗とされた学校が、その後の検査で選手には感染者が居ない事から再出場を訴え、これが認められたというもの。
高校野球も五輪も、あるいみ出場のチャンスはそれほど何度もある訳じゃないので、なるべくなら出場させてやりたいものです。
さて、話は変わり先日来猛暑、酷暑の宮田村を含む長野県ですが、今から15年前に起きた平成18年の豪雨災害について、今朝の新聞である記事を見て思い出しました。
丁度その年、私も宮田村の消防団長を仰せつかっていましたが、現辰野町長も同じく辰野町の団長を務めていました。
宮田村では平成18年の祇園祭が終わり、翌日の宮田夏祭りが開催されていた頃から雨が降り出し、翌日7月19日の夕方の村安全会議に出席している頃から小河川の氾濫が相次ぎ、消防団員が出動する事態となりました。
宮田村では宮田高原で今でも残る260ミリメートルを超える雨量を記録(途中で電話線が土砂に流され観測不能になる)し、その後も団員が土のうを並べるなど徹夜の防災作業を行いましたが、辰野町と岡谷市では、消防団員を含む犠牲者が出てしまい、残念な思いをしたことを覚えています。
その時の教訓を、町の職員に伝授したという辰野町長の事がニュースになっていましたが、なるほどそう言う事も大事かと。
とにかく二次災害を出さない事に気を配った事は今も覚えていますし、その考えは同じ。
実際に起きた災害を教訓として、今後も安心・安全を高めてもらいたいものです。