あれから10年。あの時の報道

2021-3-9

 今日も東日本大震災の話で恐縮です。
あの3.11の午後、ゆっくりと、しかし大きな揺れで思わず会社の建物外に飛び出した事は今でも忘れません。
駐車場の車が揺れて動き出しちゃうんじゃないか?と心配するほど「ゆさゆさ」という表現が正しいかどうか分からないけど、大きな揺れでした。
近くの自宅や隣のお宅の建物は大丈夫か?と本当に心配し、揺れが収まるとすぐに確認し、無事だと解るとテレビをつけてニュースにくぎ付けになりました。
揺れの大きさは、あれで震度4だったと記憶していますが、現場で重機に乗っていた社員が、電柱がグラグラ揺れて「思わず電線を引っ掛けてしまったか?」と思ったほど電柱も電線も大きく揺れ動いたと言っていたのを思い出します。
そしてテレビに映し出された津波の恐ろしい光景。マジで映画を放映しているのかと思う様な凄まじい光景と、逃げ惑う車両が妙に目に焼き付いています。
あの運転手たち、無事だったのでしょうか?。
 さて、あの震災でショックだったのは、ネットで各新聞の記事を探し、ある新聞の報道の安置所の名簿に知り合いの奥さんの名前を見つけてしまった時の事。
電話は通じないだろうからと、一方的にネット検索しながら安否を確認していたが、犠牲者の名前にどうやらそれらしき名前を見つけたときは衝撃でした。
知り合いの彼、つまり亡くなられた方の旦那と電話で直接話が出来たのは、それから1週間ほど後の事で「一旦避難したようだけど、また戻って行ってしまったようで・・・」と語る声が何とも辛かったです。
結局あれから10年。現地に赴くことが未だにできず、彼にも会っていませんが、元気に暮らしているのでしょうか?。
もう一つはテレビのCMが自粛され、公共広告の暗い音楽ばかり毎日聞かされ「気持ちが滅入る」といった家族の声も思い出します。
原発爆発の画像は、実は1時間後だったなんて話があったり、今となっては何が本当で何が嘘だなのか解りませんが、当時、停電や断水などライフラインがズタズタの中、懸命に報道しようと頑張っていた新聞記者やマスコミの方も居たそうで。
大震災は誰が悪い訳でもなく、只々起きてしまった事実と、今後は被害を最小限にしようという努力しか出来ません。
それにしても我日本国。地震大国とは言うけれど、厳しい環境の中にいる国だと改めて思います。

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